火を追う蛾の基地に立ち並ぶ研究室の一つがスウの職場だ。スウの率いる研究所は、もとより構成員は多くないのだが、今日は偶然、全員が他の研究の手伝いで出払っていた。火を追う蛾は常に人が足りていないから、こんな日も珍しくはない。
静かな部屋でひとり、普段通り端末に向かっていると、研究室のドアロックが開く音がした。見ると、入ってきたのはケビンだった。
「やあ。どうしたんだい」
彼が研究所に現れることは少ない。ここを直接訪れる理由……なにか内々に対処したい事件でも発生したのだろうかと頭の中で候補を幾つか並べる。
ケビンは少し物珍しげに部屋の中を見てから、口を開いた。
「スウ。今日の仕事は終わりにして休むようにと、メイから言われている」
彼の話は思いがけない内容だった。困惑して時計を見るが、昼休憩(とされている時間。守られないことも多い)から、まだ一時間も経っていない。
「休みだって? 何か外で手伝うことでもあるのかい」
「いや。特に何もない。単に休暇だ」
ケビンは淡々と言うが、あまりに突然の知らせである。しかし、スウはそこであることを思い出した。
「ああ……なるほど。事情は推測できたよ。でも急に切り上げろというのも難しい。今取りかかっている仕事が終わったら──」
スウがスリープに入っていた端末を立ち上げようとすると、ケビンの手が画面を遮った。
「ケビン」
スウは顔を上げ、抗議の意を込めて彼の名を呼んだが、彼は首を横に振る。
「メイの休暇のときには君も協力しただろう」
それには苦笑を浮かべて、まあね、と返す。
以前、メイに休みを取らせる計画に協力したことがある。火を追う蛾では、一部の職員──おもに研究職、事務職の過労が問題視されていた。その筆頭がメイ博士で、彼女が休んでいるところを見たことがないと言う職員もいるほどだ。トップがそんな調子では下の者もやりづらい。
そこで、周囲が勝手に休日を設定することにしたのである。計画的に休みを入れることが各方面との調整でうまく行かず、仕事が少なそうな日に、突発的に休暇を決行するという力業がとられた。部下たちから上司への休暇取得命令という、おかしな話である。スウはその計画を聞き、メイの仕事を分担するのを少し手伝ったのだ。
計画の成果は……耳に挟んだ話によると、いざ休んでくださいと部下たちが詰め寄った日、やはりメイは渋った。そのとき、ふらりとエリシアが現れて、メイを抱き上げて──いわゆるお姫様抱っこで──連れ去っていったらしい。話に聞くだけでもエリシアの輝く笑顔が目に浮かぶようだ。こんなに面白い計画、どうしてあたしに教えてくれなかったの──そんなふうに不満気なポーズをして、楽しげに軽やかに、メイをさらって行ったに違いない。
そんなことがあったから、今度は逆に、メイが職員たちに休みを取らせているのだろうと推測できた。ケビンの言葉から、その推測で正解らしいと分かる。